まめのきブログ

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アラカルト12 卵が先か鶏が先か

唯物論というものがあるが、大抵一回は聞いたことがあるのが’卵が先か鶏が先か’どちらが先にそれこそ’在った’かだ。

 

この世界の中で最も優れた形というのは’球’とされる。

惑星は太陽系の重力の中で自然に引力等によって、球形になる。

宇宙空間、無重力ではよく宇宙ステーションの宇宙飛行士が見せてくれるが水は球形になる。よく言われることだが、この球形の水は口に入れると無重力ののなか気管支に詰まるので飲めない。

 

話を戻すと、そもそも卵はなぜ完全な球形ではなくいぶつな形をしているのだろうか。

よく言われるのは落下しないためだ。

つまり、ビー玉やパチンコ玉のような球形のものを机に置くと余程平面上でないとそれら二つ等はころころと落っこちてしまう。

 

その点、卵はすぐには落ちない性質がある。

 

では、卵と鶏どちらが先に生まれたかということに関してだが、それは僕はパンドラの箱のようなものだと考えることもできると思う。

 

パンドラの箱は、開けるとその中からありとあらゆる災いが広まるというものだが、鶏が悪いのではなく、但し、一番最初にあったのは一つの卵だとは考えにくい。

 

 

パンドラの箱は、想像上は真っ白な宝箱のようなもので荘厳な鍵がかけられていそうだ。なぜ、白いかだがそんな恐ろしい宝箱はどこか神殿のような誰も分からない所にあるものだろう。森の奥底でもいいのだが、その場合は遥か昔に誰も手が届かないようにとかならわかる。

 

それはどんなに膨大なものを含んでいようとも、鶏とは違って生き物ではない。

 

神話上生き物のようでもあるがだ。

 

なぜ、卵が先といえないかというと、例えば原始そこに卵があったとする。

何か不自然ではないか。考えてみると分かるのだが一つの鶏の卵から生まれるのは、一羽の鶏だ。その孵化した鶏が卵を産み落とすには、配偶者が必要になる。なら卵が二つ、雄雌となると、それは段々とアダム、イヴ、エデンの園ノアの方舟の話になってくる。

 

つまり恐らくは、昔それは大きな鶏の祖先がいたのだ。