まめのきブログ

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アラカルト11 『白い犬とワルツを』を読んで思う事

『白い犬とワルツを』、この物語は、主人公の老人が飼っていた白い犬が主人公の窮地を救うのだが、実際の所はその白い犬は、居ない筈の部屋にいて人を助けるというものだ。一応出てくるのはもうこの世を去った白い犬の幽霊になる。

舞台はアメリカの郊外辺りだと思われるが、ここの情景設定がもしアジアだとすると物語の風景が変わる。

アジアだとすると犬の幽霊と聞いて、日本は背筋が少し寒くなる。それは、日本はよく滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は、犬が人間のように戦うからコミカルかも知れない。でもこの犬も、アフタヌーンの『犬神』のように人を守りながら戦う。

 

ヨーロッパだとすると犬の幽霊と聞くと、もう森の中の話になると思う。例えば、ローマの神は、中に二人の人間の子を育てる狼の神もいる。

 

 

 

では、舞台がアメリカだとすると『スパイダーマン』シリーズのベンおじさんのような人柄が一般的というのがある。アメリカは本当にいい意味で土っぽく子供達を愛すると思う。それはmarvel super herosアメリカを代表するキャプテンアメリカが、どう考えてもそのまんまの正義のヒーローというのがある。

 

やはり、そこにワルツの‘犬を愛する年配のおじさん’像がある。

 

話しがアジアの日本に戻るが、そもそも犬の霊が恐いものと考えられるのは、日本の風土に‘犬神信仰’があるからだ。それと5代江戸幕府徳川綱吉の生類憐みの令が出されたのは、将軍が病床の時に犬に救われたという事からと聞いた。犬公方と言われるのはそこにあるようだ。

 

人間は、文献というものを後世に残すが、犬はなぜ恐れられるという風習、習わしを残してしまったのか。これは日本の場合であり、同じ現象は枚挙に暇が無い。