あけましておめでとうございます。
今回は『パニック障害発症編』の記事を綴ります。
私はバセドウ病と併発して「パニック障害」という精神疾患を患うことになります。
同じ疾患で悩む人の力に少しでもなれればと思っています。
しかし、今回の記事ではその一連の出来事を綴るため、当人が読むのは苦しいという場合があると思っています。
その理由として、
私自身「パニック障害」に関する本や記事を一切読むことが出来なかったからです。
パニック障害は人によって症状は違い、向き合うために取る行動も違うと思います。
その中で、本に書いてあることや実際に良くなった人の言葉通りに行動しても、治らなったからどうしようという不安が頭にありました。
また、当人ではなく、周りの人がこの記事を読まれている場合もあると思います。
その時に「こうしたら治る」という言葉がけではなく、
「こういう向き合い方もある」
「同じように悩んでいる人がいる」
などという言葉をかけてあげて欲しいなと思います。
文章力がないため、どうお伝えして良いか難しいのですが、
精神疾患を患ってしまう方はとても優しい人なのだと思います。
そして辛い経験をしたからこそ、より一層誰かに寄り添う事ができます。
絶対に今の辛い現状はずっとは続きません。
私は病気を患ったことで、大学生らしいこと、当時の友人たちと一緒に大学に通う事や一緒に卒業することは出来ませんでした。
本当にもう駄目だなと絶望する日もありました。
でも今こうして自分が経験したことを綴り、
誰かのために何かをしていることで、今までの経験は無駄ではなかったと思えるように少しずつですがなっています。
救急車で運ばれたあの日から、家の中にいても
何か漠然とした不安が付きまとって
自分が自分でないような誰かに支配されている感覚が続きました。
その恐怖から外に出ることが怖くなり、
一人で家にいることも怖くなってしまいます。
その不安は私の行動をだんだんと制限し、
大好きだったお風呂に入ることや誰かとご飯を食べることも出来なくなっていきました。
そして夕暮れにうたた寝をしていた時に、目を覚ますと自分が何をしているのか、何なのかわけがわからないまま、
「死ぬかもしれない」というあの電車で経験した感覚に陥ってしまいした。
その後
やっとの決心の末に心療内科に行き、診断を受けると
「パニック障害だ」と告げられました。(当時の私は心療内科に行くことへの抵抗が強く、薬漬けにされるのではないか、抜けだせなくなる恐怖、病名を付けられる恐怖などがありました。)
そこから私は、甲状腺の専門医、甲状腺専門の眼科、心療内科と家と病院を往復する日々が続きます。
心療内科で薬(ドグマチール、レキソタン)を処方されたものの家に居ても不安な気持ち、いつパニックになるのだろうという恐怖はありました。そのため絶対に通わなければならない甲状腺の病院に行くのにも本当に辛く、言葉では言い表せないほどの挫折、自信の喪失になってしまいました。
『パニック障害発症編』おわり
次回『病気との向き合い方編』へ続く…