はじめまして。
私はとある社会福祉施設で清掃業務・ボランティア活動を約2年させていただいている、現在大学4年生のTと申します。
この記事は、
「ある日を境に当たり前だった日々が、
当たり前ではなくなってしまった」
自分自身と向き合い、その現実を乗り越えた経験を綴ろうと思います。
生きづらいこの世の中で、悩みながらも少しでも前を向こうとしている人の背中を優しく押せるような記事になればと思います。
私は都内で生まれ、これといって大きな病気もすることがなくスクスクと育ちました。
周囲の人間と同じように大学を卒業し、適当に就職して、運が良ければ結婚して死んでいくのかな~なんて思っていました。
自分の中でそれが「普通」であると考えていたぐらい、
その頃の自分は周りが何も見えて居なく、表面的な部分でしか物事を判断できず、今ある幸せを噛み締めることもなく、ぼんやりと生きていたのだと思います。
大学入学後、
中学から続けていた硬式テニスを続けるために、仕方なくどこにでもあるようなテニスサークルに入りました
飲み会などはたまにしかなく、比較的にしっかりとテニスをするような健全なサークルでした。
練習自体は高校の部活より遥かに易しかったのですが、少しのウォーミングアップで息が上がってしまい、部活を引退後の自堕落な生活の付けが回ってきたなと思っていました。
しかし、その年の夏練に行くある日、自宅の最寄り駅につくなりひどい立ち眩みによって気が付くと地面にしゃがみ込んでいました。
そして、その後サークルの練習に参加する日は来ませんでした。
最初に診断を受けた時は、聞いたこともない病名でどこかの電車の名前かななんて思いました。(笑)
採血の結果、当時の自分の数値は大幅に正常値を上回っており、医者からは
「運動なんてできる体ではないのはもちろんで、
何もしないで家にいなくてはならない。」
と言われました。
それからの私を待っていた生活は今までの日常とはかけ離れたものでした。
今まで全くお世話になっていなかった「病院」という施設に1週間に一度通院し、大嫌いな採血を毎週を行うことになりました。幸いにも美人なナースさんが採血を担当してくれることになりましたが、たまに姿を見せる代わりの熟練ナースさんの時は良いことが何もありませんでした。(笑)
自宅では、毎日ドラクエのボスみたいな名前の薬(メルカゾール)を1日3錠服用することが義務付けられました。今まで薬を飲んでこなかった私に3錠のボスはなかなかに手強い相手でした。
当時しっかりとした病名を付けられてから、自分の体の異変のことを思い返すと、辻褄が合うことが多くあることに気が付きました。
それは、元々貧弱な体系なのであまり気にはしていませんでしたが、会う人に「最近ちゃんと食べてる?」とか「筋トレしろ」などと言われて、食トレや筋トレを続けていました。
お医者さん曰く、数値が異常なのに検査をしないで病気であることを知らないままの人もいるそうです。
つまり、バセドウ病は人によって様々な症状があり、その症状の重さなどにも違いがあります。私は当時食べ物を成人男性が摂取する量よりも1.5倍くらい多く食べていたと思います。
しかし、体重計に乗る度に少しずつ体重は減少していっていました。(183㎝で52㌔)
私の体はなんと起きている時も寝ている時も24時間「常にマラソンをしている状態の心拍数」で、酷い時は何もしていない状態で、120回/分(脈拍の正常値は60~80回/分)が続いていました。
そりゃ何もしてなくても痩せるよなと思い、
口に無理やり詰め込んでいたたんぱく質の摂取と
無機質な鉄の塊を持ち上げることを辞めました。
『バセドウ病発症編』おわり
次回『救急車搬送編』へ続く…